不幸を餌に生きるということ
世の中には、〇種類の人がいる、だとか2種類の人しかいないとか、
いろんな人がいるはずなのになぜか、枠組みをしようとするのってなんだなんだろう。
水面下でカテゴライズ。その枠に収まらないと呼吸もできないようなそんな気さえしてくる。
〇〇系、とかそんな言葉が世の中には飽きるほど漂っていて、その基準はもんの凄く
曖昧で、それは1秒後には流行りからこぼれ落ちてるよんもんじゃないかな、なんて思ってしまうから、
正確なカテゴライズって多分ないんだよ、きっと。
世界の速度はどこまで速くなっていくんだろうね。
ふるいにかけられて、過去はじき出されてきた何かをこの現代ではみんな血眼で探しているような気がして、ちょっと怖い。
メンヘラ、サブカル、アングラ、個性派、とりあえずその辺について思うこと。
それって、カルチャーなんでしょうか?
それって、ファッションなんでしょうか?
肩書に収まってしまった後、マインドとか根本とか、本質ってどこに追いやられていくんだろう。
まるで、女の子の発する可愛い、みたいだ。
私の青春時代って、ブログ全盛期で。
いろんなカリスマブロガーがたくさんの信者を生み出していたんだけど。
今となっちゃ別に覚えてないんだろうなって。
当時、誰かの信者だった人たちは多分新たな教祖を見つけている。
そこで、また自分の枠に押し込めながら、アンチになったりファンになったりしてるんじゃないかしら。
そこにはいろんな人がいるんだなって事実だけが転がっていたはずなんだけどね。
きっと時代の流れとかきっと世間の煽りとか。
そういうものに踊らされて、もう流行りじゃないよって切り捨てられちゃったり。
時代に合わせて、変化しながらなんとか生きながらえていたりするんじゃないかなって。
日本人は本当にお祭り文化なんだろうね。
右にならえ。が日本人の精神なんだって聞いたことも読んだこともあるんだもん。
この時点で、あたしも世間の波に少なからず流されてしまってるってことなんだけど
それって別に悪いことじゃないっていうか、仕方ないっていうか。
自分一人じゃ、本当の一人じゃ存在さえあり得ないし。
いろんな肩書を作ることで、それに感化させられて、いまを生きる。
生きなきゃならない。
その中にある、たくさんの正義が使い方を間違えてしまった人たちの悪に変換されている事に気付きながらみんな自分の理想を演じてくれる人を探していたんじゃないかと思う。
薄幸の美女、なんて言葉があるようにある一定の不幸とともに生きてきた人や生きている人には、魅惑的で、人を取り込むオーラがあるんじゃないかな。
ものすごく失礼かもしれないし、その不幸ってなんですか?とか
勝手に決めないで、とか言われるんだろうけど。
これはあたしの考えで、正しいとか言ってないし
そもそもそれってあたしのこと勝手に決めてるからの言葉でしょ?って思う。
不幸を知らない中で、今思えば中途半端に不幸だったあたしは、その妙なオーラでたくさんの男の子に心の中の合鍵をもらってきた。
それは多分そういう人にしかできないことで、それが当たり前だったあたしはそんなこと知らなかった。
自分を不幸だと思ったこともないし、マシか、マシじゃないか。
それがあたしの判断基準で。
でも多分、あたしは不幸を餌に生きている。
あたしの不幸はいつもどこかドラマチックで甘かったから
不幸の中でそれを健気に耐える女というのはなぜあそこまで色気があるんだろうね。
男でも不健康そうな方が色気を感じるのって多分あたしだけじゃないと思うんです。
色白、細身、死んだ目、そういうのって今、流行りの一つなんじゃないかな。
いずれ、廃れちゃうんだろうけど。
時代が病んでるから、多分。
みんな疲れた顔してる。
目につくだけなのかもしれないけど。
だって小麦肌でこんがり焼けてて、元気一杯、パワフル〜な女の子の魅力が爆発してた時代だってあったじゃん。
高飛車で傲慢な女がいいとか、自分を持ってる女がいいとか、色々、いろいろ。
女はいつも、男に理想を押し付けられるからって今度は女が男に理想を押し付けるようなのがやたら目につくんですよ、今。
それって本人が悪いとかじゃなくて、多分大きな空気感のせいなんだ。
わかんないけど。
カテゴライズしないでくださいっていう、一つの流行り。
あたしはあたしの道を行くっていう一つの流行り。
好きなことして、生きていきますっていう一つの流行り。
逆らって生きていこうよっていう一つの流行り。
理解されたくないっていう一つの流行り。
もう仕方ないんだと思う。
ファンがいるってことは、信者がいるってことは同時にそれだけでアンチを生むでしょ。
みんなに好かれる人ってそれだけで嫌われたりする。
別に何かの活動してるわけじゃないし、ファンとかいないんだけど。
全面的に無遠慮に信頼されるのが怖いんです。それだけなんだけどね。
だって、誰も彼も人間だもん。
無理でしょ、完璧になるなんて。
不幸を餌に生きるってちょっと気持ちよかったんだと思う。
孤独の回でも話したけれど、創作をする人間には、微量の不幸が必要なのかもしれない。
きっと、いい作品とか人の心を鷲掴みにするには、小さじいっぱいの不幸と、蜂蜜みたいな共感と、緩和するように注がれる愛情が潜んでいると思ってるんだ、あたし。
不幸を餌に生きるということ、きっとあたしの場合は煌めきの最初の手順なんだ。