NTukiakariのブログ

日々の疑問。

暴力的な善意と愛の狭間について

きっと、、これは喜ぶべき出来事なんだろうな
でも、あんまり喜べないな

そんな時、わたしはどう振る舞ってもこの出来事はもう回避不可能なんだなと絶望してしまう、

久しぶりだからだろうか、たどたどしくどこかご機嫌伺いをしているような明るく可愛い声が真っ暗な部屋に嫌ってほど響いていた

ベッドに入る気力もシャワーを浴びる気力もないけれどなんとなく幸せだったなーと思える1日を胸にゆっくり眠りに落ちていく算段だったのに、、

一晩たった今でもわたしはすごく言葉にできない気持ちに押しつぶされそうになっている

どうしてこんなことになっているんだろう、、、
思考を停止しかけてためにぼんやりした頭のまま、その言葉だけがどんどん大きくなっていって、ついには目眩と吐き気に襲われた

まっさらな善意
むきだしの渇望
どこまでも大きくて深い愛

そのどれもが尊くてそれを無限に注いでくれるこの子の存在にわたしは幾度となく救われてきたはずなのに

今やそのどれもが重たくてほんの少し恐怖に変わりつつあるという事実に頭を心をぼこぼこに殴られまくっている

わたしは薄情な人間なのかもしれない

あの子はきっと、とても寂しかったんだろう
あの子はきっと、SOSを出していたんだろう
あの子はきっと、、、

付き合いが長いからこそ、色んなことが簡単に予想できてしまうからこそ返す言葉が見つからない

素直に、喜べない

そんなわたしの感情にきっと彼女も気付いてしまったから繰り出される言葉はだんだんと善意の説明に偏っていって、その言葉はわたしの中に鉛みたいに溜まっていったんだと思う

わかるよ、わかってるよ
あなたがわたしを想ってしてくれたことだってことくらい

それでも、その気持ちがすごく辛いんだよ今

そう言えたら、どれだけ楽になれるだろう
だけど、可愛いあの子にそんなこと口が裂けても言えやしない

わたしをこんなに愛してくれるあの子だけは、傷つけたくない

わたしはどうすべきで、どうしたいんだろう

暴力的な愛って言葉はよく聞くけれど
善意にだって暴力的な一面が密かに潜んでいるんだね

昨日も今日も、わたしの口からはどうしよう、どうしたらいい?が止めどなく溢れてしまって

自分が情けなくって泣いてばかりだ

楽になりたい
でも、わたしだけ楽になんてなれない、

わたしもまた、暴力的な善意を振るってきたのかもしれない

あーあ、あーあ
悩んでも答えの出ない問題は嫌いだ
いつまででも頭の中から消えてくれないから

SNSってなんなんだ

Twitter
Instagram
〇〇ブログ

ツイキャス
インスタライブ
ふわっち
showroom
17
ニコ生

YouTube
ニコニコ動画


ざっとあげてこんくらい?
多すぎる
目眩してくる

人の目に晒されるリスクより
賞賛や承認欲求を満たすこと
そんな世界

心地よかった場所はどんどん窮屈に
逃げ場を探してまた追い詰められて

リアルが充実してる
知名度がある
そーゆー人達はそっちでうまくやってくれ

どこに行ってもあたしは自由になれなくて
偽りのほんの少しの自由さえ
ぶくぶく太った承認欲求に飲み込まれて

結局あたしがあたしを苦しめる一番の原因で
なんかどーでもよくなって
一日一日すっごく退屈でやってけねーて
ドロップアウトしたくなる

ずっとずっと繰り返してる気がして
ちっとも進めてない気がして
焦げ付くくらいに焦るんだ

あーもうやめたい
やめたいやめたいやめたいやめたいやめたい

あたしはあたしで居ることを辞めてしまいたいずっと
こーゆー事考えちゃったり
すぐやめたくなっちゃったり
いやホント迷惑ですよねごめんなさいって感じで

突き抜けた悲しみも
突き抜けた可愛さも

破れるだけの何かを持たない人間だから

しあわせを数えても
ふしあわせを数えても
そこにあたしの席はない

中途半端な、でもそんな狭間なんて全くなんにもなりやしない

拗らせちゃってすれちゃってしんどくて消えたくて
仕事してぇな畜生
できねーけどがむしゃらに働いてた頃に戻れたら
余計なことを考える時間も
自分と向き合ったりすることも
しなくてよかったはずなのに

コミュニケーション能力低めのあたしの独り言は
漂っていたいだけなのに
いつもどっかに流れ着く

いや、頑張れよもう少し頑張ってくれよ
何休んでんだよばかじゃねぇのって

はーもーぜんぶSNSなんかがあるせいだ
はー

rimit mind...

朝が苦手だ。
窓から射し込む陽射しが苦手。

朝が始まる。
私は眠る。
私の夜は朝日とともにやってくる。

夜の速度は心音をなぞるように変化し
わたしはひとり、夜に漂う。

月が時々雲の切れ目から顔を出す。
いつの日からか星を掴める自信を地面に落として割ってしまった。

あたしは、あたしが怖くなる。
あたしの意志とは違う方向へ向かってゆくしこうの影に飲み込まれる。

ああ、真っ暗だ。
ああ、常闇だ。

そうだった。
ここは夜の真ん中で、夜の速度は早まっていく。

私の夜に朝はこない。
昼も夕方も、存在しない。

常闇。
陰鬱。

それでいい。
それがいい。

わたしに朝は必要ない。
夜明けに怯えて、朝を拒む。

世界の速度は私を置いて、
私の速度は離れていく。

夢を見ていたい。
忘れてしまいたい。



全て、全てを知ってしまえ。

住処

心の住処
身の住処

どっちも一致する人はこの世界にどのくらい居るんだろう

きっと、みんな闘ってる
世の中には、人生には時に、どうしようもない選択がうまれ続ける

私にとって、私の人生の課題は私の心の住処を探し続けることなのかもしれない

こころの住処は目を瞑れば色んなところにあるんだろうけど

目を瞑らなければいけないことは、無理矢理に私の目をこじ開ける

とても、理不尽でとても、やりきれない、そんなことが沢山ある

わたしはいつも、逃げている

なにに追われてるわけでもなく
それが唯一わたしがわたしらしく選んだ道だから

皮肉なことに幸せは時を経てわたしを包み込む
様々な幸せが包んでくれる
それを喜ぶことが出来るのは最初だけで
そのうちいつ、終わりが来るのか断首台に寝転んでいることに気づいてしまう

わたしは、しあわせが、とても怖い

くすんだ瞳

ギラギラギラ。
鋭かったはずなのに。
たくさん、見てきたはずなのに。

今、私の瞳は絶望に染まっている。
暗く、どこまでもぽっかりと。

ほんの少し前のわたしはとてつもなく輝けていた。
野望や意志を貫いて、少しずつ塗り重ねた光の粒は
ある日突然、私の前から姿を消した。

まるで初めからそんなものなかったんだよ、と知らしめるかのように。

はじめは、必死で追いかけた。
あの頃の私の瞳の輝きを。

希望、野望や欲望。
意志、自信、証明。

たくさんの彩りをたたえていた私の瞳。
抉りとったのは、他でもない私自身だった。

なみだを殺し、笑顔を捨て、喜びを忘れた。

何も映さなくなった瞳は磨き忘れた鏡のように、少しずつ少しずつ、くすんでいった。

頑張ってる自分が好きだった。

なにかに打ち込む自分が好きだった。

それが、私の生きる意味だとさえ思っていた
なんて、愚かなんだろう

緩やかに繰り返される心の殺人
ナイフを突き立ててきたのが自分だとさえ、知らずに

信じられないくらい能天気に生きてきたはずの自分にかけた呪い

解き方さえ知らない間に何重にも重なって
もう、手遅れだ

何度も何度も、抗って、
何度も何度も夢を信じて、

その先に一体なにが残った?

なにひとつ、残ってなんかいやしなかった。

わたしが必死で守ってきたものって、何だったんだろう?
その答えはもう二度と辿り着くことを許してくれない

人を信じれない人間が人を愛せるだなんて、救えるだなんて、そんなこと、夢以外のなんでもなかった。

遠い、遠い夢。
わたしには届かない、夢。

幻に、心地良さを求めてしまったら、
剥き出しに、なってしまったら

1番、守りたいものをズタズタに切り裂いてしまうんだ
守るべきものをこの手で、ぐちゃぐちゃに元の形さえ分からないくらいに壊してしまう

そんなもんだった、
そんなもん、だった

感情の化身

 

大人になるってなんだろう。

色気?貫禄?常識?

 

全て正しくて、全て間違っている。

いろんなパーツがあるからきっと、答えは人の数だけ生まれるし一人一つとは限らない。

 

キャラクター、イメージ、雰囲気、

それらはあたしを形づくるけれどあたしを閉じ込めもするんだ。

 

素直な女の子は好かれるけど、素直の種類もまた難しい。

あたしがこの狭い自分の世界で見てきた限り、

感情的な女の子は嫌われる傾向にあるし、ひどい奴はメンヘラとなじる。

本音だけで生きていければどれだけ楽だろうとは考えるけれど

本音だけで生きることは多分つまらない。

 

抑圧されるからその歪みの中で、あたしだけのあたしが生まれるのだから。

社会に馴染むゲームには半分勝利し、半分惨敗している。

その度、新たなデータが刻まれて、あたしはあたしを更新する。

 

更新されたあたしはまた新たなあたしを求めて、時には生まれ変わるために

一瞬前のあたしを惨殺し、それを作品に昇華してみたりもする。

 

最後の弾圧魔は、いつだって不安全な一瞬前のあたしだ。

 

傷をえぐって、その傷の深さや色を確認する。

忘れていたはずの傷跡をなぞることで見つけたりもする。

その味は記憶の中で変化して、いつだってそこにある。

 

不意に痛むそれが、あたしを最も輝かせてくれることがあるなんて、なんて皮肉なんだろうね。

 

甘美な傷はとても濃ゆく色めくわ、香り立つわで。

だから人はなんだかんだ、ロマンティックな切なさを探してしまうのかもしれない。

 

みんな、どこかできっと主人公になりたがっているのだろうし、人に語れる程度の憂いを欲しているように見える。

 

だけどそれは、とても当たり前のことなのだろうね。

 

あたしはこの世界の中を感情の化身として渡り歩いている。

どんなにとりつくろっていても。その皮の下には目まぐるしく鮮明に蠢き続ける感情が今か今かと息を殺すこともせず、絶好の機会を待ち望んでいる。

 

不幸を餌に生きる最大の武器はきっとそれを憂いとして彩ることなのかもしれない。

 

むき出しの音が、声が、感情の化身が吠えるのだ。

大きな声で、割れんばかりの感情で、何かを必死に、

 

いや、きっと、もがいているんだろう。

 

不甲斐なさ、やるせなさ、やり切れなさ。

情けない人間の底を目をそらさず、時には傷つけ傷つけられながら

それでも、それでも、愛を忘れることはできやしない。

 

大森靖子という超歌手は、完全なる感情の化身として、あたしの心を価値あるものに変えてくれる。

 

超高速で生きている彼女に、引き込まれ、惹きつけられている。

 

希釈が間違っていようが、その濃度を決めるのは、その瞬間のあたしだけだ。

あたしの感情達はあたしが彼らを誰かと分け合ったり、見せ合ったり、そういうものを極端に嫌う。

 

理不尽なんだ、ものすごく。

矛盾の中でしか答えを見つけられないし、その感情は超高速で過去に投げ捨てられていく。

 

いつだって。

あたしはあたし自身に殺される。

 

 

 

人間って人間くさいってきっとこういうことだと思う。

彼女は、きっと感情の化身だ。

 

たくさんの傷を抱え、決して逃げずに、自分を生きているんだと思う。

 

その感情が音楽というフィルターを通して、この世界をぶち抜いてくれるはずだ。

不幸を餌に生きるということ

 

世の中には、〇種類の人がいる、だとか2種類の人しかいないとか、

いろんな人がいるはずなのになぜか、枠組みをしようとするのってなんだなんだろう。

水面下でカテゴライズ。その枠に収まらないと呼吸もできないようなそんな気さえしてくる。

 

〇〇系、とかそんな言葉が世の中には飽きるほど漂っていて、その基準はもんの凄く

曖昧で、それは1秒後には流行りからこぼれ落ちてるよんもんじゃないかな、なんて思ってしまうから、

 

正確なカテゴライズって多分ないんだよ、きっと。

 

世界の速度はどこまで速くなっていくんだろうね。

ふるいにかけられて、過去はじき出されてきた何かをこの現代ではみんな血眼で探しているような気がして、ちょっと怖い。

 

メンヘラ、サブカル、アングラ、個性派、とりあえずその辺について思うこと。

 

それって、カルチャーなんでしょうか?

それって、ファッションなんでしょうか?

肩書に収まってしまった後、マインドとか根本とか、本質ってどこに追いやられていくんだろう。

 

まるで、女の子の発する可愛い、みたいだ。

 

私の青春時代って、ブログ全盛期で。

いろんなカリスマブロガーがたくさんの信者を生み出していたんだけど。

 

今となっちゃ別に覚えてないんだろうなって。

当時、誰かの信者だった人たちは多分新たな教祖を見つけている。

 

そこで、また自分の枠に押し込めながら、アンチになったりファンになったりしてるんじゃないかしら。

 

そこにはいろんな人がいるんだなって事実だけが転がっていたはずなんだけどね。

きっと時代の流れとかきっと世間の煽りとか。

そういうものに踊らされて、もう流行りじゃないよって切り捨てられちゃったり。

時代に合わせて、変化しながらなんとか生きながらえていたりするんじゃないかなって。

 

日本人は本当にお祭り文化なんだろうね。

右にならえ。が日本人の精神なんだって聞いたことも読んだこともあるんだもん。

 

この時点で、あたしも世間の波に少なからず流されてしまってるってことなんだけど

それって別に悪いことじゃないっていうか、仕方ないっていうか。

 

自分一人じゃ、本当の一人じゃ存在さえあり得ないし。

 

いろんな肩書を作ることで、それに感化させられて、いまを生きる。

生きなきゃならない。

 

その中にある、たくさんの正義が使い方を間違えてしまった人たちの悪に変換されている事に気付きながらみんな自分の理想を演じてくれる人を探していたんじゃないかと思う。

 

薄幸の美女、なんて言葉があるようにある一定の不幸とともに生きてきた人や生きている人には、魅惑的で、人を取り込むオーラがあるんじゃないかな。

 

ものすごく失礼かもしれないし、その不幸ってなんですか?とか

勝手に決めないで、とか言われるんだろうけど。

 

これはあたしの考えで、正しいとか言ってないし

そもそもそれってあたしのこと勝手に決めてるからの言葉でしょ?って思う。

 

不幸を知らない中で、今思えば中途半端に不幸だったあたしは、その妙なオーラでたくさんの男の子に心の中の合鍵をもらってきた。

 

それは多分そういう人にしかできないことで、それが当たり前だったあたしはそんなこと知らなかった。

 

自分を不幸だと思ったこともないし、マシか、マシじゃないか。

それがあたしの判断基準で。

 

でも多分、あたしは不幸を餌に生きている。

 

あたしの不幸はいつもどこかドラマチックで甘かったから

 

不幸の中でそれを健気に耐える女というのはなぜあそこまで色気があるんだろうね。

男でも不健康そうな方が色気を感じるのって多分あたしだけじゃないと思うんです。

 

色白、細身、死んだ目、そういうのって今、流行りの一つなんじゃないかな。

いずれ、廃れちゃうんだろうけど。

 

時代が病んでるから、多分。

みんな疲れた顔してる。

目につくだけなのかもしれないけど。

 

だって小麦肌でこんがり焼けてて、元気一杯、パワフル〜な女の子の魅力が爆発してた時代だってあったじゃん。

 

高飛車で傲慢な女がいいとか、自分を持ってる女がいいとか、色々、いろいろ。

 

女はいつも、男に理想を押し付けられるからって今度は女が男に理想を押し付けるようなのがやたら目につくんですよ、今。

それって本人が悪いとかじゃなくて、多分大きな空気感のせいなんだ。

わかんないけど。

 

カテゴライズしないでくださいっていう、一つの流行り。

あたしはあたしの道を行くっていう一つの流行り。

好きなことして、生きていきますっていう一つの流行り。

逆らって生きていこうよっていう一つの流行り。

理解されたくないっていう一つの流行り。

 

もう仕方ないんだと思う。

ファンがいるってことは、信者がいるってことは同時にそれだけでアンチを生むでしょ。

 

みんなに好かれる人ってそれだけで嫌われたりする。

 

別に何かの活動してるわけじゃないし、ファンとかいないんだけど。

全面的に無遠慮に信頼されるのが怖いんです。それだけなんだけどね。

 

だって、誰も彼も人間だもん。

無理でしょ、完璧になるなんて。

 

不幸を餌に生きるってちょっと気持ちよかったんだと思う。

孤独の回でも話したけれど、創作をする人間には、微量の不幸が必要なのかもしれない。

きっと、いい作品とか人の心を鷲掴みにするには、小さじいっぱいの不幸と、蜂蜜みたいな共感と、緩和するように注がれる愛情が潜んでいると思ってるんだ、あたし。

 

不幸を餌に生きるということ、きっとあたしの場合は煌めきの最初の手順なんだ。