NTukiakariのブログ

日々の疑問。

”孤独”はなぜ嫌われる?

 

孤独。

それと対峙したことのない人はきっと居ないだろう。

 

あまり好まれない。

煩しがられ、疎まれる。

甘えることなどきっと知らない。

どこにも居場所がない。

孤独自身がきっと一番孤独なのだろう。

 

字面だって、複雑でどこかそっけない。

すべてのものを威嚇しているようにさえ、感じる。

 

やはり、名は体をあらわすのかもしれない。

 

孤独はとてもわがままで依存体質のいい歳をした大人だと私は思う。

突然すり寄ってきては、寄り添い、突き放し、思考を鈍らせ、時には麻痺させてしまう。

 

そのくせ、”関係ありませんよ”みたいな振る舞いをするから、タチが悪い。

私の知る感情たちはみんなそうだ。

 

ネット社会の現在、孤独はとても浮気性だ。

誰かの呟きに、表情に、作品に、その影をチラつかせたり、残している。

 

お風呂でシャワーを浴びていた時だった。

先ほどまでの楽しい時間を思い返しながらのんびり湯船に浮かぼうと思っていた私に

 

奴は突然語りかけてきた。

 

”本当に楽しかったの?”と。

 

なんてことを言うの!と一度は跳ね返してみたものの、

泡だらけの髪をかき混ぜるように、その言葉は見る見る間に私の中で膨らんでいった。

 

”私は本当に楽しかったのかしら?”

もう、この時点で孤独の思うツボだ。

 

奴の狙いは、根拠もなく他人の中に居場所を作ることだから。

孤独の発したひとことが、私の中に転がり落ちて

勝手に根を張ってわたしに巣食う。

 

迷惑な奴だ。

 

こちらが別れを決め、必死の思いで告げたところで、素知らぬ顔。

なんの気無しに現れて、その夜わたしは孤独に抱かれて貫かれる。

 

”忘れることなんて許さないよ”

そんなときだけ優しいなんて、本当にずるい。

 

陶酔して、崇拝して、孤独に焦がれて、孤独の子を産む。

時には喜びに染められ、

時には憎悪に駈られ、

時には愛おしさに溺れながら。

 

ふと、気がつけばいなくなっている。

孤独はいつもせわしないのだ。

置き手紙の一つでも残していってくれればいいのに。

 

わたしは孤独の夜の顔しか知らないし

孤独もわたしの夜の顔しか知らない。

 

後腐れのない関係。

 

芸術や表現の世界では、孤独はいつも求められてきたのだろう。

孤独には、兄弟やいとこのような関係の感情もあるのだけれど、

それはまた、別の機会に。

 

ここまで試行錯誤しながら語ってきたけれど、本質にはたどり着けなかった。

 

まだ、奴の方が何枚か、上手なのだろう。

 

悔しい。見事なまでにはぐらかされてしまった。

 

いつか、リベンジしてやるんだ。

 

孤独はやはり魅力的ではあるのだけれど、

浮気性で勝手気ままなやつなのだ。

 

そんな奴、嫌われて当然だ。

 

こんなことを語っていたからなのか、また孤独はどこかへ行ってしまった。

 

もちろん、いつものように置き手紙はない。

 

やっぱり奴は勝手なのだ。

 

それでも、私はまたいつものようにふらりと帰ってくるのを待ってしまうのだろう。

そして、疲れた顔をした奴の口から語られる誰かの物語に酔いしれるのだろう。

 

今回、一つわかったことがある。

 

私は、孤独に恋をしているのだ。

もうずっと昔から。

 

他の人がどう思おうが

 

私はどうしても、孤独を嫌いになれないのだから。